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| 院長の部屋 |
明けましておめでとうございます。
昨年の東日本大震災では2万人の方が死亡・行方不明となられました。
突然命を奪われたご本人の悔しさと残された方の悔しさ、悲しみを汲みつくすことは できませんが、哀悼の意をあらためて表します。
忘れてはいけない自然の驚異的な力を見せつけられました。
自然の力をあなどってはいけないこと、自分自身が 生きて知っていることは地球の歴史の上ではほんの一瞬の出来事にすぎないことを教 えられました。
日本で、世界で、人それぞれに今何ができるのかを考えました。
ほんの小さなことしかできないかもしれませんが、考えたその気持ちを忘れないよう にして新たな年を迎え、希望の年になるよう祈念します。
災害に際しての病院の役割もいろいろではありますが、 できることから整備をすすめていきたいと考えいています。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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3.11東日本大震災、医療支援報告 生協さえき病院 福山慎二
2011年3月31日からの3日間、仙台塩竃市にある坂総合病院を拠点とした災害支援に行ってきました。坂総合病院は“災害拠点病院”で、2市3町20万人に対しての災害医療を担当することとされていました。全国の生協の病院などから4月8日までに、医師285人、看護師517人を含め、1760人の支援が行われています。
拠点病院の診療支援、避難所での医療相談、被災地を回っての医療相談を行ってきました。
支援報告 2011年4月4日
3月31日までで坂病院の対策本部は解散するなど、病院の医療体制はかなり落ち着いてきている様子だ。救急外来の医師の話では、休日はとれていないが、休めるようにはなってきたとのこと。
支援で外来、救急に入り、若干は現地医師の負担軽減にはなったであろうか。4月1日夜の当直帯は、平常時は3人の医師勤務を支援医師3人を加えて6人が交代勤務で行う形であった。救急車は普段よりは多いようだが一晩で6台前後に減っている。
避難所は悲惨である。歩ける人は日中は家に帰っての片づけをしており、避難所も少なくなるが、夜は寒い、食べ物が限られる、トイレなど衛生環境ははなはだよくない。
風邪が“治りきらない”というひと、普段は血圧は高くないのにとても高くなっている人が見受けられた。医療相談窓口で診療もしているが、患者数は多くはない。足湯は好評の様子。
長期戦であり、医療サービスは移動に困難を伴う高齢者障害者が中心となると思われる。精神面での問題は今後顕在化していく可能性がある。避難所での介護サービスのニーズもありそうだ。
地域訪問。回った地域は道路以外の多くは手つかずの様子で、まだ人が住んでいない、住める状況ではなかった。坂病院からの訪問であることを告げると、どの人も歓迎の意向を表されたのが印象的だった。不足する物資も特にはないとのことで、マスクを配ると重宝がられた。具体的な何かをしてあげる(片づけボランティアなど)、また、声を聞くことで被災者へ全国からの支援の気持ちが伝わったように思えてうれしく感じた。現場を見せてもらうことも大事であった。
被曝の問題
行きのバスでは、所々で線量測定をしたが、最大で1.3μSvであった。
今後
坂病院を拠点とした活動は、避難所を含め縮小傾向の様子ではある。現地からの要請に応え続けたい。若い人も是非参加をと思われた。物資は、山積みされており、物よりお金が必要か。
日程。
2011年3月29日火曜日
18:10病院出発
23:30、東京お茶の水のホテル着。
3月30日水曜日
09:00全日本民医連をバスで出発。19名(医師が3名)。
15:00坂総合病院着。
15:20オリエンテーション。電子カルテ説明。
3月31日木曜日。支援医師20名。
時間割
午前(8:30-13:00)、救急外来。
午後13:00-17:00、避難所。
夜(18:00-20時)、避難所。
4月1日金曜日。支援医師16名。
午前、避難所。
夜、夜間外来、21:30-02:30。
4月2日土曜日。支援医師17名。
午後、地域訪問。
4月3日日曜日。支援医師10名。
午前9時、坂病院発。
午後8時、広島駅着。
以上。
追記
1、坂病院が医療機能を維持したことは、設計段階、日頃からの準備、訓練と、幸運に支えられている。
災害時に備えて、1階のリハビリテーション室への酸素配管がされており、とても役に立ったとのこと。非常時の救急スペースとして活用された。
井戸水が非常用に確保されていた。海岸からの距離があり、高台に立地。
避難者は受け入れなかった。避難者を受け入れた近隣の救急病院は機能停止した。
12日間で4500人の患者。3/22までトリアージ外来。
3/30の時点で地域でのライフライン復旧は電気のみ。
職員死亡4名。当初、50台/日の救急車。CTは自家発電機では稼働せず。検査できずに様子をみるしかできない患者もいた。
当初は、携帯含め電話不通。連絡なしで救急車は来院。
警察、消防、行政とも連絡が付かないまま。
災害拠点病院で、停電しない設計(2所からの受電)だが、停電した。
以上。
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ご無沙汰をしてしまった間に、生協さえき病院は満5年が経過いたしました。早いものです。
一足早いお祝いの映画会も開催いただきありがとうございました。あらためて多くの方々に支えられていることを胸に刻む催しでした。
お叱りも受けながらではありますが、引き続き、多くの方々、組合員さんにご指導いただきますようお願いいたします。
さて先日、初めて新球場マツダスタジアムに行ってきました。
4年近く入院されている患者さん(ご自分では身動きのできない方)のカープ観戦の夢を実現しようという病院スタッフの企画についていきました。
その患者さんの病室には大きな新球場のポスターが張ってあり、新球場とカープへの思いに応える企画です。
新球場はうわさにたがわずきれいで広々としたつくりでしたが、球場スタッフの対応に感動して帰ってきました。
車椅子用の観客席が用意されている、バリアフリーはいまどきの施設では当然ではあるのでしょうから、車椅子の移動、観戦の場所に不自由なくありがたいものです。
そこまでは期待していましたが、介護タクシーで到着したところへの球場スタッフの出迎えがあり、観客席までをお二人のスタッフにご案内いただきました。
背中には“HOSPITALITY STAFF(ホスピタリティースタッフ)”の文字です。
“ホスピタル”は病院の意味ですが、その言葉の原点である“おもてなし”の意味と、笑顔に、病院スタッフが“おもてなし”をいただきました。
背中の文字だけではなく、“ようこそ”という笑顔が本当に感動的でした。
もちろん、夜勤明けで参加の看護師さん、元気のいいリハビリスタッフなどなど、わが病院スタッフの思いにも、熱い感動を感じたことは言わずもがなです。
生協さえき病院
院長 福山慎二

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いよいよ年末年始ですが、“派遣切り”のニュースが連日です。切られた方々の救済策(住宅など)も伝えられますが、切ったあとの救済ではなく、まずは、そう簡単に切ってはいけない、ということにはならないのでしょうか。仕事が半分になれば、雇い入れも半分(半分を解雇)は理屈ではそうなりますが、あまりに大変な事態に思われます。会社がつぶれてしまっても困りますが、働いている人たちを守るのも会社の役割であったはずです。
社会全体で働く場を考えるとき、医療介護関連の職場で、もっと多くの人に働いていただいたらたらいいのではないか、雇用創出にもつながるということが、以前からいわれています。当院での夜勤者(看護師、介護福祉士)は午前0時の時点で5人です。約100人の入院患者さんがいらっしゃいますが、職員一人あたり20人をみます。病院ですので、皆さんがすやすやお休みではなく、おむつを替える、痰の吸引、点滴交換、人工呼吸器の管理など大変な業務量です。また、認知症でうろうろされる方もいらっしゃいます。倍の職員を夜勤にしたいところです。ただし、5人分の人件費が病院の経営(収入は国が決めている)からはぎりぎりと思われます。もっとゆとりのある医療介護のために、病院の収入を増やして、もっと多くの人(資格の問題はありますが)に医療介護の現場で働いて頂けたらありがたいと思います。
医療介護にひとと、お金を使った方が、自動車を大量に生産して大量に消費するより、低炭素社会に向けてもいい仕組みでしょう。経済の仕組みは複雑で素人の私の浅い考えではありますが、今の社会の仕組みのままでは、うまくいくようには思われません。この不景気はあと2年続く、2年したらまた景気が良くなるという声も聞かれますが、また、たくさんの自動車を作る社会に戻るのでしょうか(私は車好きですので、いい車は作ってほしいのですが)。
混沌とした世の中の状況が続きますが、医療介護の内容の向上、患者さん、ご利用の方々の満足が少しでも高まるように、職員一同で頑張ってまいります。2009年もよろしくお願いいたします。新しい年を迎え、皆様のご多幸を祈念いたします。
生協さえき病院
院長 福山慎二 |
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先日(2008年10月)、「病院の言葉」を分かりやすくする提案(中間報告)が国立国語研究所から出されました。医療スタッフ側も、医療スタッフでない皆さん(患者さんご自身、ご家族の方は是非)もご一読頂きたい内容です。自省を込めてですが、医師や看護師と、患者さん、ご家族との会話を聞いていると、これは通じていないなということはよくあります。もちろん、どうわかりやすく、正確にお話しするかということは第一に医療者側の課題です。
「脱水があるから“ほえき”しましょう。」「頭のCTを撮ったら“けっしゅ”がありました。」「“ちんきゅうせい”の脳梗塞“そう”がありました。」「“よご”は厳しいと考えます。」医者は一生懸命説明しているのですが、“言葉のかべ”があるのも事実です。挙げていったらきりがありませんが、医学用語をそのまま(気づかずに)使ってしまっていることが多いようです。丁寧にわかりやすい言葉で説明する必要がありますが、言葉によってはただ言い換えればいいということではなく、その言葉そのものを理解してもらわなければいけない場合もあります。
さて、生協さえき病院は、療養病床と、一般病床を持つ病院です。“療養病床”と、“一般病床”では何がどう違うのでしょうか。“療養病床”は老人病床で年齢制限があるのでしょうか。それとも介護保険で入院する病床なのでしょうか。
もし、私が医療者でなく、家族に入院するものがいなければ、私も答えられないだろうと思います。介護保険で入院できるのかどうかもわからないと思います。“一般病床”では、長期の入院はできません。入院直後から「退院先を決めてください」と言われることもあり得ます。「とても家では生活できそうにないのにどうしてなの?」などなど、医療の仕組みは複雑怪奇です。
私自身もすべての医療関連の仕組みや、医療事業者に対して厚生労働省が作る分厚い“説明書”をすべては理解できていません。行政はいろんな制度をつくって、医療をコントロールしようとしていますが、“医療の仕組み”は医療従事者でない方々にとって、ちんぷんかんぷんではないでしょうか。医者と患者さんとの言葉の問題と同様に、医療介護に関する、行政と国民とのあいだの言葉のかべもとても大きいと思います。
「医療区分1なのでここでは入院できないのです。」これは療養病床に関連する説明なのですが、これだけでは意味不明ですよね。
説明責任は厚生労働省にありますが、説明している場面にお目にかかったことはありません。行政の言葉をわかりやすくする計画も立ててほしいものです。
生協さえき病院
院長 福山慎二 |
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紅葉も少しずつ始まり、いよいよ秋らしくなってきました。
ちょっと気が早いですが、ことしもあと少し。あっというまに時間が過ぎていってしまいます。年をとると時間が経つのが速くなるとはよくいいますが、確かにそんな感じがしますよね。
時間の感覚と年をとる感覚について、以前に80歳代の女性から聞いたことがあります。半年で1年、歳をとる、と。
最初は意味がわからなかったのですが、時間としては同じ1年であっても、若いときとは違う、
"歳をとる"感じが違う、若いときの倍歳をとるということでした。2、30歳代の若いときには、1年間では体の変化、歳をとるという感覚は特にはありませんが、80歳からの1年間での“歳をとる感覚”の自覚が、違うということでした。
上り調子の若い人には実感しづらい感覚ですが、そのときに高齢者の気持ちが少しわかったようで印象的に覚えているエピソードです。
生協さえき病院
院長 福山慎二 |
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生協さえき病院開設から3年が経過致しました。
不十分ではありますが地域の皆様の医療介護にお役に立てるように職員一同頑張って参りました。引き続きの、地域の皆さん、生協組合員の皆さんのご指導、ご支援をお願いいたします。
さて、先日の日経新聞に新型インフルエンザへの自衛策の記事がありました。今までにも繰り返し報道されていますので、すでに対応策を講じておられる方も多いかもしれませんが、是非実行をと思いますので紹介します。厚生労働省も呼びかけていますが、“2週間家に立てこもる準備、備蓄をしてください
”という内容です。“大流行で一時的に社会が混乱しても、2週間すれば落ち着くだろう。各家庭のスペースを考えても現実的な対応”という考えです。
具体的には食料・水・燃料の備蓄でしょうか。流行時には電気・ガス・水道などのライフラインが止まる可能性も考えられていますし、とにかく“外出しない、買い物にも出ない、家にこもる”ことが自分と家族を守るだろうとのことです。インフルエンザで電気が止まるなんて信じられないと思っている方も多いでしょうが、社会の機能が一時止まってしまうことは予想されています。
1918-1919年にスペイン風邪(この時点での新型インフルエンザ)が流行し、日本で38万人が亡くなっています。この頃の日本の人口は6000万弱、現在の約半分です。現在、日本で年間に亡くなるのは110万人ですが、38万人はすさまじい数字と私には思えます。いかがでしょうか。
また、30歳前後の若年者の死亡が多かったこともわかっています。若い方も決して侮ってはいけません。
水、米、みそ醤油、カセットコンロなどと、マスクも忘れずにご用意ください。
生協さえき病院
院長 福山慎二 |
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